ファラフェルの話
ファラフェルとの出会いはもう15年以上も前になる(ファラフェルとは、ひよこ豆やそら豆で作る中東のコロッケです)
まだ独身で、パン屋の仕事を朝から晩まで、時には晩から晩までしていた頃。
パンを作る少しの隙間でお店を抜け出して、近くのファラフェルサンド専門店で大きなSサイズのサンドを買い歩道のベンチに座って食べる。
木陰となったそのベンチからは、イスラエルから来たという店員さんがよく見えて、ひとりで切り盛りする彼を眺める。
(おそらく)翌日のピタパンの仕込みと接客を隙間なくこなすエプロンや手は粉だらけだし、時にはソースを指につけてペロリと味見をする。
真剣な顔や、接客中のにこやかな顔が交差する。
毎日そのベンチでファラフェルサンドを頬張りながら、彼がくるくると働きたくさんのお客さんと交わるのを見る時間は、自ら作ったものが誰かの糧になること。
それを続けること。その全てを体感させ、わたしを励ました。
コーヒーを飲み干す、立ち上がり、工房へ戻る。
その15年後、気づけばわたしは3人の娘の母となり、こよりどうカフェで料理を作っている。
オープンしたばかりのカフェだから、メニューの開発も大切な仕事のひとつである。
こよりどうカフェは肉や魚を使わないため、メインメニューには大豆製品を使用することが多く、それ以外のものを、、と考えていた時思い出したのがあのファラフェルであった。味を思い出しながらたくさんのレシピを検索し、試作を繰り返す。硬くてピンとこないファラフェルを作り続ける。
そんなある日、たまたまイスラエルからのお客様がいらっしゃることになった。
当日、
私はファラフェルを作って待っていた。
イスラエルのタヒニソースに見立て、ねりごまとヨーグルトのソースも用意する。
少しするとお客様がわらわらとカフェに入ってきた。
カラフルなお洋服を着て、表情も晴れ晴れとした背筋の伸びた異国の女性達に、わたしの身体は反射的にバリアをはる。ムリだ。あそこに行きたくない。帰りたい。
ファラフェルがなければ、帰っている。
店長に促され、ファラフェルをお客様へ差し出す。お客様が本場の発音で『פלאפל!(ファラフェル)』と声を上げる。わたしはそれだけで感動していた。
ファラフェルを食べながらしてくれた『ファラフェルの話』は『イスラエルの暮らしの話』といってもいいような質感で感じられ、わたしの中のファラフェルがみるみる変わっていく。
日本でいえばおにぎりのような存在であること、ハーブやスパイスや様々な形が各家庭の味であること、家でも街でもいつでもどこでも食べられるものであること、地域や国によってはそら豆で作られるものもあること、そら豆のアレルギーがあるから気をつけていること、揚げる前にひとつまみのベーキングソーダを入れるとふんわりと仕上がること、そのコロコロとした形がきれいに揚がったときのママはちょっと機嫌がいいこと、、。遠い異国の暮らしは、とてもちがって、とても同じだと感じる。少しだけリラックスした自分がいる。
その後の試作はそれまでとは全然ちがった感覚で進み、コロコロと揚げられると、ご機嫌になった。
『ひとつまみのベーキングソーダ』で少し膨らみ、日本人の口にも合うようにスパイスを配合したファラフェルがこよりどうのレシピとして完成した。が、揚げるのにちょっとしたコツのいるそのレシピの生地は、毎日色々な人が働くキッチンでは、油のなかでバラバラになったり、真っ黒でガリガリなファラフェルが揚がることになったり、、、な結果であった。去年の秋のことである。
そして今年の秋メニューとしてお出しするファラフェルは、この1年間に生まれたオリジナルのソースやミックススパイスも使い、もっと日本人に合う食感になるように、香ばしさはありつつ、食感は柔らかめに、誰が作っても美味しくできるレシピ。
この15年でファラフェルを食べられるお店は本当に増えたと思う。色々なファラフェルがある。
うろ覚えの名前で検索すると、彼のお店はなくなっていた。近くにできる大きなカフェにいると書いてある。
きっとくるくると働いているかな。
いつかまた、食べたいな。
わたし達の料理も、皆さんを励ますお料理であれたらと想っています。
秋もこよりどうカフェで、どうぞごゆっくり。